双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者(1年間)。睡眠改善、薬の使い方を調整後、復職。現在挑戦中のきままなブログ

2度目の休職までの経緯

どうも。

 

もう寒い日も終わり、どんどん春めいてきましたね。

今日は一人で日光浴のつもりで近くの公園に出かけたのですが、甥っ子に見つかり、甥っ子、姪っ子と公園とその公園内にある博物館の特別展示見てきました。精神障害者手帳を持っているので、入場料無料なのですごく助かります。平日ってこともあり、結構悠々と見ることができました。

 

さて、今日の話はこの辺にしておいて、双極性障害2型になった経緯について書こうと思います。このブログはiPadで見つけてアカウントを取ったので、入力しづらかったので、Bluetoothでキーボード接続して書いています。今回は長くなりますので、興味のある方のみごらんください。

 

私が体調を崩したのは2年前(2016年)の3月です。その前年の12月ごろから過敏性腸症候群となり、騙し騙し仕事をしていたのですが、2月に電車に乗れなくなり、バスにも乗れなくなってしまいました。そうなっていつもアレルギーを治療してもらっていた病院の先生に紹介状を書くからすぐに精神科にかかるように言われて、行くようになりました。

 

精神科の予約はなかなか取れず、しんどい状態で仕事を続けて、通院しましたが、3月2日に体が動かず起き上がれなくなり、そのまま仕事に行けなくなってしまいました。仕事どころか、日常生活そのものも送ることが難しくなり、一人暮らししていたところまで親に来てもらって身の回りの世話をしてもらっていました。4月から復帰するつもりでいましたが、頭が落ち着かずとても行ける状況ではなかったので、半年の休職をすることになりました。

 

その時の症状は、幻聴、幻覚、自殺念慮などうつ症状のどん底といった感じでした。

幻聴は「なんで生きているんだ?」「死ねば楽になるよ」「おーいこっちへおいで」といったものでした。基本的に死を促す幻聴でした。

幻覚は、カバンに顔があってこっちを睨みつけている状態です。そのうち、窓やいたるところに顔が現れ始めました。そして、うつになった原因のパワハラをされた人が家の中に現れて、追い払おうと暴れ出すという事態になっていました。色々なものを壊してしまいました。

そういう状況になって、我に返って、なんてことをしてしまったんだと思って、もう生きている価値なんてないと思い、死にたいと思うようになっていました。

 

私がこうなったのは、長時間労働パワハラです。2年間我慢したらこうなってしまいました。

 

ということなので、まずは「抑うつ状」ということで治療が始まりました。幻聴・幻覚を抑える薬とうつに対する薬が処方されました。ひどい状態は1ヶ月程度でした。幻聴・幻覚が治った後はよくあるうつ状態に陥って、引きこもり状態が続きました。しかし、数ヶ月後にはある程度回復して、なんとしてでも仕事に復帰したかったので、その年の10月には復帰しました。病院としてはもう半年ほど様子を見たほうがいいと言われたのですが、すごく体調も良かったし、もうこれ以上休んでいては暇で仕方がないと復帰させてもらったのです。

 

2016年10月から2017年8月までは順調に働いていました。それまでよりも頭が晴れるような感じで、仕事も定時で帰ることを厳守して仕事していました。休む前は頭がおかしくなっていたので、簡単な仕事も時間かかっていたけれど、回復したのですごく順調におわると感じていました。

ところが、8月にまた様子がおかしくなってきたのです。前回の時のようにお腹が痛くなり始め、幻覚が現れ始めたのです。すぐに異変を察知して、病院に相談しました。気分の落ち込みも急激にやってきました。

 

そこで、病院から、単極性のうつであれば、この頻度でなるのはおかしいと疑われ、それまでの生活の様子を再度洗い直し、「双極性障害スペクトラム」という形で、双極性障害が疑われるようになりました。

そこでまた休職・・・となったのですが、管理職から有給を消化する形でしばらく休んでみてはどうかと提案され、有給で休んで薬で調節することになりました。夏の時期とも重なったので、お盆休みと引っ付けてやすみ、3週間の休みをとることになりました。

その間、抗うつ薬に加え、双極性障害の薬を飲むようになりました。不安症状もひどくなっていたので、抗不安薬も飲んでいました。その3週間の間に一人暮らしをやめて、実家に戻ったほうが良いという病院のアドバイスを受け、実家には戻る場所がなかったので、実家のそばに家を買いました(中古物件ですけど)

双極性障害の特性をまだわかっていなかったのですが、抗うつ薬を飲むことで、軽く躁転していて、とんとん拍子で家を買ってしまいました。(まぁでも、実家との行き来がしやすくなったので、後悔はしていません)

 

そうして、夏休みが終わり復帰して仕事をしていました。薬で落ち着くポイントがなかなか見つからず、増薬したり、減薬したり、入院を勧めたり(断りましたけど)色々していました。躁転のときはまだいいのですが、鬱転するときは、混合状態になり、解離症状を引き起こし、アームカットをするようになったり、ハイターを飲んでいたりしていました。それで気がつくと8月から3月までで、持ち越した有給も含め35日も使っていました。

 

そこで、ふと思ったのです。(このままの状態で仕事を続ければ、来年は持たない。病気との向き合い方も仕事をしながらでは厳しいのかもしれない)

 

病院の先生に相談すれば「安定すれば仕事できるから大丈夫だよ」といわれ、「いつ安定するんですか?」と聞くと「人によって違うからわからない」と言われ、どうればいいのだろうと思いました。元気な時の自分は仕事をしたいと思い、仕事を続けると言う。しんどくなれば休みたいと言う。自分自身が矛盾したことをいう状態になっていったのです。そこで、「労務管理は管理職の仕事だ」という発想で、管理職に相談しました。というよりは、丸投げをしたのです。

 

「管理職の立場から見て、私は仕事をしたほうがよいか、休んだほうがよいか。決断を下してほしい」と。

 

管理職は慌てて、病院と連絡を取って決断を下してくれました。半年から一年休んだほうがよいと。

そういう経緯で2度目の休職をすることになりました。今はまだ診断書等が`揃っていないので、休職一歩手前の状態ですが、もうほぼ間違いなく休職に入ります。

 

前回の混合期にもブログを立ち上げたのですが、すぐに消してしまいました。今回は続けられるといいなと思っています。

 

長文でしたが、もし同じような状態の方がいたら参考にしていただけたらいいなと思います。もう無理はしないようにしようと思って生きています。