双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者のきままなブログ

千手観音が好き

どうも。

 

今日は色々と更新していますが、今回はちょっとマニアックなネタを書こうと思います。

 

みなさんは、千手観音って知っていますか?手が千本ある観音様です。

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こんな感じです。よくダンスでも後ろの人が手を出して、こんな感じのをやったりしていますよね。

私はそういうダンスの世界で知ったのは後のことで、寺社仏閣を巡るサークルを立ち上げて回っている中で、千手観音に興味惹かれてずっと好きです。

 

最初は手の多さに気持ち悪さを感じましたが、どうじ興味が湧きました。奈良や京都に行くと千手観音を見ることが結構あります。京都の三十三間堂にいくと、約1000体の千手観音様がいらっしゃいます。(でもいつ行っても、修理中だの、○○博物館で展示中となっていて、1000体いないことのほうが多いです(笑)その千手観音ですが、ほとんどが木でできています。

木造の仏像は一木造りと寄木造りがあります。一木造りはその名の通り「一本の木から作る」ということです。大きな木から仏像の形に掘り出すので、継ぎ目がありません。見た目も綺麗に作れます。しかし、千手観音はその容子を見てわかるように、一木造りでは至難の技となります。なにせ、胴体部分よりも外側に手が出ているので、一木造りでは不可能です。そこで、ほとんどが寄木造りです。

寄木造りは、いくつかのパーツに分けて気を掘り出して、合体させる技です。顔、胴体、両腕、台座、背の手になるわけです。と考えたら、手のパーツ作りにどれだけの精神をつぎこんだのだろうと思ってしまうのです。

実は、千手観音の後ろの手は一つ一つに眼があります。「千手千眼」と言われるので、全ての手に眼があって、その目で衆生を見て、あらゆる手段で救ってくださる有難い仏様です。千手それぞれに救える内容が異なるようです。

その千本の手はどのように寄せられているかわかりますか?千手観音の横側から見ることもできる所もあるのですが、そういうところで観察すると、あの手はリュックのように背負う形で作られているのです。横から突き刺さっているんです。そして背中にかけて固定されるようになっているんですよね。そして、後ろに重心が行くので、後光(後ろにある光を表す彫り物)と地面で支えるように作られています。

 

現代人の感覚で行くと、千手と聞くと千通りの方法で救ってくれるのかと思いがちですが、昔の人の「百」や「千」はその数を表したものではなく、数え切れないほど量が多いことを表しています。だから、千手観音の「千」も量が多い、それだけ色々な苦しみから救ってくださるという意味になるのです。

 

私はその中でも「髑髏(どくろ)」を持っている手が気になっていました。髑髏を見ると死をイメージしたからです。救っている中にも「死」にかかわるのかなと思いました。むしろ、悪人を殺して衆人を救ってくれるのかと思っていました。しかし、違いました。骸になってしまって、放置されている無縁仏を救ってくださるということです。あの世に行けず現世をさまよう魂を救ってくださると言うことですね。

 

仏像は現代では国や県の宝物として指定され、文化に触れるものですが、昔は信仰の対象です。たとえば、奈良の大仏様は修学旅行でも多くの学生がやってくるので、見たことがある人が多いかもしれませんが、今でこそ間近で見て参拝しますが、昔は見ることすら叶いませんでした。閉じられた建物に向かって、拝むのです。奈良の東大寺では許された一部の僧侶以外は大仏を見ることすら叶わなかったと言われています。今の方が、昔の人からすると羨ましい状況にあると言えるかもしれません。まぁ、隠している方が何があるか分からず、想像でどんどん価値が高まって行く、と言えるかもしれませんね。

ちなみに、今も秘仏が多くあります。特定の日にしか開帳されないので、調べていかないと閉じられた建物に向かって拝むことになります。私は仏像が好きなので、ぜひ見たいのですが、見られなくとも、昔のように想像を膨らませて拝むことが楽しめるので、嫌いではありません。

 

そうそう、この話もしておかないといけません。千手観音は、基本的に現世の苦しみを解いてくれるありがたい仏様です。でも、これって斬新なんです。

なぜだかわかりますか?

 

仏様というのは、一体いつ現れるのか。社会で習ったかもしれませんが、忘れられていますよね。仏様は、死ぬときに現れます。あの世へ行くときに導いてくれる存在なのです。つまり、現世ではなく、来世のために祈る対象だったのです。だから、仏教の修行僧というのは、現世の欲を断ち切り、身を清め来世を祈る存在だったのです。ところが、薬師如来や千手観音などは、現世の苦しみを解くことを祈る仏様なのです。これは、斬新だったと思います。

 

例えば、新しく海外から入ってきた宗教で、「生まれ変わったとき、苦しまないようにするために、祈りましょう。これを買って身につけて祈りを捧げましょう」と勧誘されるのと、「今のあなたの苦しみはなんですか?その苦しみを取り除くために、これを買って祈りましょう」と勧誘されるのだったら、どっちに乗っかりますか?

祈るなんて言われたら、今はどっちも乗っからないよと言われるかもしれません。もう少し現代的に落とし込んでたとえると・・・

 

「100年後のiphoneのために10万円出してください」

「今のi phoneのために10万円出してください」

と言われたら、どっちに10万円出しますか?長い目で見て、将来10万では買えないだろうから、100年後・・・って選ばないですよね。100年後生きていない可能性の方が高い。今使えるものにお金を出しますよね。

話を元に戻して考えて見ると、仏教での僧侶などの修行する人は100年後のために修行していたのです。基本的には来世のためです。その発想で修行し、説法をして、民衆に仏教を信じてもらうわけです。しかし、民衆にはそこまで教養がありません。今みたいに一定の教育を受けていることがないので、難しいことはわかりません。だから説法では仏教の考えを噛み砕いて話をしていたわけです。そして、お布施をもらうことで仏教は繁栄するわけです。

でも、100年後の話をされてもピンときませんよね。民衆の支持を得られなければ仏教の繁栄は望めません。そこで、当時斬新な存在として現れたのが、薬師如来や千手観音、地蔵菩薩などです。現世の苦しみを解いてくれる仏様が現れたのです。つまり、今の10万円が出てきたのです。

自分自身に効果があることなら、だれでもわかりやすいですよね。当時は貨幣という考えがないので、基本的には物でお布施をするわけです。「誰々が病気だから治して欲しい」とあれば、薬師如来を信仰している僧侶に依頼して、祈祷してもらうわけです。それで治ったという記録があるから不思議なものです。そうやって、仏教は信仰者を増やしていくんですね。

 

千手観音というのをただ見て、驚くだけでなく、その背景にあることを知ると非常に面白いことがわかります。1000年以上も前から日本人は同じような発想を持っているんです。海の向こうから来た新しいものに飛びつくんです。i phoneが発売されるたびに並んで購入している人を見ると、日本人的だなぁと思います。新しいものに飛びつくのを現代っ子って言いますが、私はむしろ逆だと思っています。「すごく日本人的」と思います。

 

千手観音から現代まで思いを馳せてみました。

ちなみに、千手観音には、後ろの手が42本の物と千本のものがあります。大抵は42本です。前の手と合わせて44本になります。千というのはあくまで「たくさん」の意味なので、千本にする必要はないわけですね。でも、本当に「千本」あるものがあります。これを「真数千手」と言います。これは数が少ない。見ることができる寺院も限られています。でも千本あるのを見ると圧巻ですよ。よく作ったなぁと思います。少し興味を持った方はぜひ、千手観音を見に行ってみてください。