双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者のきままなブログ

プロ奢ラレヤーと古典

どうも。

 

今回もプロ奢ラレヤーについて触れていきたいと思います。

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abema TVも載せておきますか。

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さて、今回は私の専門でもある「古典」と絡めて書いていきたいと思います。

みなさんは、「御伽草子」って知っていますか?「おとぎぞうし」と言います。「おとぎ話」なら聞いたことがあるかもしれませんね。昔から語り継がれているお話しです。古典の世界では「説話」と言われるジャンルに近いです。「説話」は僧侶が一般の人に、仏教的な教えをわかりやすく説くために用いたお話しです。高校1年生で古文を習うと「児のそら寝」や「絵仏師良秀」だったんじゃないでしょうか。覚えていないかもしれませんが、古文初心者向けの話なのでよく用いられます。

 

そういうお話しの時代が新しくなったバージョンが「御伽草子」です。民間に広まっていたものを集めた人がいて、現代にも伝わっているんです。これは国の力ではなく、個人の力なんです。すごいですよね。

 

さてさて、作品の紹介はこのくらいにして、古典とプロ奢ラレヤーが関係するのか見ていきたいと思います。

 

御伽草子には有名な「一寸法師」が入っています。現代版の一寸法師とは違って、古典の一寸法師は次のような話です。

 

とある村に住む老夫婦*1がいました。長年子どもが居ないことを歎き、住吉大明神に子どもを授けて欲しいとお願いしました。そうするとおばあさんが妊娠し、子どもを産みます。
ところが、産まれた子どもの大きさが3寸しかありません。しばらく大切に育てますが、人並みの背丈にならず3寸のままなので、老夫婦は「この子、化け物の子じゃないのか。いっそ、どこかへ捨ててしまおう」と相談します。それを聞いてしまった一寸法師は家を出ることを決意します。「都に行けばなんとかなるだろう」と思い、都を目指します。

お椀に、箸に、針を持って川を上ります*2都に着いた一寸法師は、都会に驚き観光します。そして、立派な家の軒先に行き、声を掛けます。家にいた人は声がするので出てきますが、姿が見えません。何度か会話をすると、下駄の下に小さな男がいます。家の人は「面白いやつだ」と思って、召使いとして招き入れます。

その後、しばらくして、一寸法師はその家の娘に恋をします。何とかしてお嫁さんにしたいと思いますが、正攻法ではうまくいきません。そこで一計を案じます。

あるとき、娘が眠っているところに近づいて、自分が持っていた米袋から米粒を取り出して娘の口につけます。そして、大きな声でわめき泣きます。驚いた家の主人がやってきて、「どうした?」と尋ねます。一寸法師はこう答えます。

「私が大事にしていた米を娘さんが食べてしまったんです。」

そうすると家の主は怒ります。

「こんな人のものを盗むような娘はうちにはいらない!どこへでもやってしまえ!」

と怒鳴ります。そうすると一寸法師は、「はい、わかりました」と娘を連れて出て行ってしまいます。出て行った後、家の主は「誰か止めてくれないのか」と少し残念に思います。

こうしてまんまと娘を連れ出した一寸法師は、とりあえず生まれ故郷を目指して、娘を船に乗せて移動します。娘は何が起こっているのか理解出来ていません。船はやがてある島に辿り着きます。

そこは少し異様な空気が漂っています。少し歩くと、前から二人やってきました。それが「鬼」です。鬼は二人を見かけるなり、「娘を奪いさっていこう」といい、襲いかかってきます。

一寸法師は鬼に向かっていきます。ところがすぐに食べられます。でも一寸法師は目から出てきます。鬼は「なんと異様なやつ。えーい。」ともう一回食らいますが、やっぱり目から出てきます。鬼は「こんな異様な奴はみたことがない。怖いよ、えーん」と宝物を落として逃げ去ってしまいます。

そうして、落としていった宝物の中に、打ち出の小槌がありました。これは願いを叶えてくれる小槌です。一寸法師は娘に言って、自分を普通の男の人の大きさにしてくれと言います。娘はそれで一寸法師を打ちつぶします*3

そうして生まれ変わった一寸法師は一人前の背丈になりました。そして、打ち出の小槌で財宝を取り出し、都の一角に屋敷を構えて娘と幸せに暮らします。そのことが話題になり、帝に呼び出されます。どういう出自があるのかと尋ねられます。

そこで一寸法師は、おじいさんの出自、おばあさんの出自を語ります。実は昔都から追い出されただけで由緒ある血筋であると・・・

そうすると帝は納得し、一寸法師に正式に役職を与え、その後一寸法師は両親を呼び寄せ、幸せに暮らします。

 

ちょっと長いですが、こんな感じです。

多少は減らしていますが、ストーリー全体を追いました。ここで着目したいのは次の箇所です。

「都に行けばなんとかなるだろう」と思い、都を目指します。

お椀に、箸に、針を持って川を上ります*4都に着いた一寸法師は、都会に驚き観光します。そして、立派な家の軒先に行き、声を掛けます。家にいた人は声がするので出てきますが、姿が見えません。何度か会話をすると、下駄の下に小さな男がいます。家の人は「面白いやつだ」と思って、召使いとして招き入れます。

 

 ここです。一寸法師の人生を決める決断です。ほとんど何も持たず都に行くんです。そして、自分の特性を生かして、収入、寝泊まりできるところを手に入れます。しかも雇われた理由が「面白い」ということなんです。つまり、興味を相手に湧かしたんです。それによって生き延びたのです。

この点がプロ奢ラレヤーに似ているなと思いました。奢る人は、きっと面白いと思っていると思います。変わった奴がいると。それに影響力がある人なので、それも一つの利点です。

こういうお話しの最後はハッピーエンドなんです。何も持たず、無一文から成り上がっていく話はいくつかあるんです。他にも「わらしべ長者」も有名です。簡単な話がぶつぶつ交換で成り上がっていく話です。始めは何もない状態から、拾った「わら」から成り上がっていくのです。身の回りにあるものをうまくつかって成功を収めるんです。

 

こういう話が昔から日本にはあるんです。

でも、今の日本ではこういう話が変形して昔話や童話になっています。一寸法師の話なんて改編甚だしいです。わらしべ長者なんて、最近は消えてしまいました。社会のどこかに「何もしないで成功するなんて思われちゃいけない」って思いがあるんでしょうね。でも、彼らは何もしなかった訳じゃないです。自分の長所を生かしたんです。そういう所を理解されずに消えていくのは残念ですが・・・

 

ということで、昔からあった話を取りあげてみました。

でも、思うんです。古典の世界でこういう話が残されているということは、やはり「稀なケース」だったと思うんです。当時は今と違って身分が固定されている世界です。そういう世界では「無一文から成り上がる」というのはあり得ない話だったんです。こういうジャンルを「立身出世譚」といいます。身分の移動が難しかった時代、彼らのような話は、人々をわくわくさせ、希望を与えながらも、「決められた運命」から動き出せない人々がたくさんいたと思います。

 

でも、今は身分制がないですよね。だから、やろうと思ったら誰でも実行できる。ただし、昔は誰かがやってもなかなか広がりません。だから2番煎じ、3番煎じが通用しましたが、現代では情報の広がりは速いので、そんなことは通用しないかもしれません。だから、他のポイントで何か見つけることが必要かもしれませんね。自分の強みを見つけて、取り組んでみる。これが大事かもしれません。

*1:老夫婦といっても40代です。時代の違いですね。

*2:いいですか、川を上るんです。これもすごい点です。

*3:実際に「打ち付けつ」とあり、たたきつぶしたと読み取れるのです。これは古典のテーマの一つでもある「死と再生」に関わります

*4:いいですか、川を上るんです。これもすごい点です。