双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者(1年間)。睡眠改善、薬の使い方を調整後、復職。現在挑戦中のきままなブログ

修学旅行で言われた衝撃の一言

今週のお題「修学旅行の思い出」

 

どうも。

今週のお題に挑戦したいと思います。

修学旅行の思い出ですか。と言われれば、やっぱり高校の時の修学旅行ですね。

 

 

1 行き先は2択 「北海道」 or 「沖縄」

まずは修学旅行の行き先の決定ですね。母校は2択でした。北海道か沖縄。なんかありきたりの選択肢ですよね。まだ当時は海外は主流ではありませんでした。国内が主流だったので、二択出来るだけすごいと思っていました。

中学校の時は選択肢なんてありませんでした。「沖縄」が当初の予定だったのですが、アメリカの同時多発テロを受けて、沖縄も危ないということになり、急遽「東京」に変更になったんです。といっても、修学旅行の1年前に行き先が変更になったので、全然大丈夫じゃないかと思ったのですが、「行き先変更になったのでお金が無くなったので、東京といってもディズニーランドには行きません。」と言われました。東京って言ったらディズニーランドだろう!って思いがみんなにあったので、結構反発がありましたね。

そんな感じの修学旅行だったので、「沖縄」に行きたいと思っていました。迷いなく、「沖縄」を選びました。クラス単位ではなく、個人単位で選べたのでよかったです。クラス単位だと行きたいところじゃない可能性もありますからね。

 

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2 「沖縄」でできること

沖縄を選んだ後は、沖縄でできることを聞かされました。

「北海道」はずっとスキーだけだったので、本当に決めることややることがあまりありませんでした。

ところが、沖縄は自由行動が組み込まれていたのです。一日目は伊江島でサイクリング、二日目はバスで集団観光、三日目がタクシー貸し切りで自由行動、四日目はお土産買って帰る。でした。

ということで、三日目のタクシーで自由行動の内容を考えて提出する必要がありました。班活動だったので、仲良かったメンバーと組んで決めました。沖縄命みたいなメンバーがいたので、観光ガイドをいっぱい持ってきて、ツメツメ感ありましたが、充実した行程を考えてくれました。

結果的にはその行程は普通では回れない行程でした。何せ、高校生の考える移動時間ですから、実際に掛かる移動時間と合わないのです。ところがタクシーのおっちゃんの当たりがよかったので、全部回ったるわと気合い十分回っていただきました。高速道路で120キロだして、クラクションばんばん鳴らして、走られたときは死ぬかと思いましたが・・・(でも、大阪の高速道路で120キロって普通に出してる人多いですよね)

 

3 出発時に空港で言われた一言

さて、出発当日です。運悪く(?)担任も沖縄担当でした。当時一番怖いとみんなに言われていた先生が担任だったので、やばいなぁって感じでした。(後に生徒指導部長になるなど、指導が厳しい「英語」の先生でした)

出発は伊丹空港。基本的に現地集合、現地解散がモットーだったので、沖縄集合になるのかと思っていましたが、さすがに大阪の空港でした。伊丹空港に集合したとき、人数確認や班確認を行いました。

250人くらいいたのですが、飛行機が3便に分かれていました。自分たちのクラスでも、沖縄組が2つの飛行機に分けられていました。一緒に乗りたかったのに・・・的な男子が先生に質問しました。

「先生ー、なんで飛行機がバラバラなんですか?」

「なんや、一緒に乗りたかったんか?」

「クラス毎とかで乗ればいいんじゃないかって思ったんですけど」

「おまえ、ちょっとは考えろ。」

「???」

「ええか、みんな一緒の飛行機乗って、その飛行機が落ちたらみんな死ぬ。一気に学校の人数が半分になったら困る。だから、飛行機落ちて死んでも生き残る人間が多いように分けて乗るんや。」

 

みんな凍り付きました。飛行機落ちる前提なんだ!?

飛行機怖くない人でも、ちょっと怖くなっちゃう一言です。飛行機怖いって言っていた子は顔面蒼白です。そして、とどめの一言です。

 

「大丈夫や。飛行機落ちてみんな死んでも、俺だけは生き延びる。そういう運命や」

 

なんちゅうこというんや。

そう思いましたね(笑)

結局飛行機は落ちなかったんですが、天候悪かったので、かなり揺れました。雲の中で雷が見えたりしたので、本当に恐ろしかったですね。

それに、伊丹が9℃くらいで出発したのですが、那覇が8℃だったんです。みんな半袖で外でたら、寒い寒い。史上2番目に寒い日だったそうです。観光バスのガイドさんも寒がっていました。私たちは行きしなの上着があったので、大丈夫でしたけどね。

 

4 おわりに

さて、今回は衝撃の一言に注目して書いてみました。本当はもっと色々やらかしているんですが、それはさておき(笑)。

ちなみに、この衝撃の一言は、Twitterでも流れてたことがあります。それは修学旅行に行ってから数年後にTwitterが生まれ、botが流していた言葉です。恐らく、その場に居合わせた誰かが流したのか、同じような発想が別の場所でもあったのか。とにかく、そういう発想で飛行機を分けるそうです。

とはいえ、今私は引率する側で修学旅行に行きましたが、飛行機分ける理由は乗り切れないからでした。あとは、貸し切りにはできないので、便が分かれることが多いです。まぁ、そんな理由だと思いますが、ちょっとぼけようとしていったのかも知れません。

 

とはいえ、衝撃だったのは間違いありません。