双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者(1年間)。睡眠改善、薬の使い方を調整後、復職。現在挑戦中のきままなブログ

イベント・8月19日・不登校は不幸じゃない

どうも。

 

タイトルにあるイベントの実行委員やっています。8月19日(日)に全国100カ所で実施するという目標の元、着々とメンバーが集まりつつあります。フェイスブックツイッターで「不登校は不幸じゃない」と検索すると出てきます。不登校経験者で協力できそうな人はご自宅の近くで主催するか、主催者を支えるメンバーになってもらえると嬉しいです。(私は仕掛け人ではありません。ただのサポーターです)

 

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ちなみに私は大阪市北区のサポーターです。

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チラシです。参加者も募集中です。よかったらQRコードからどうぞ。

 

というわけで、双極性障害で休職していますが、社会貢献をしたいと思い、無理のない範囲でサポートします。それに私の仕事と遠からずなので、いい経験になるなと思っています。

 

 

さてさて、今回はこのイベントに関連して、「不登校」だったころのことを書こうと思います。ちなみに、学生時代は双極性障害ではありませんでした。それと、アスペルガーの傾向はありますが、アスペルガーと言われたこともありませんでした。(多少影響しているかもしれませんが・・・)

 

初めの不登校なりかけ

まず最初に不登校になりかけた経緯があります。小学校2年生の時です。当時いじめにあいました。なぜいじめられるのかわかっていなかったのですが、親に聞いたらいじめられている子を助けて、いじめられるようになったそうです。いじめっ子とその仲間が全員謝罪する状況になったことは覚えています。それからいじめっ子とずっと同じクラスでした(学校の対応も杜撰ですが・・・)話しかけても無視されていましたが、なぜか分かっていませんんでした(アスペルガー特有の空気が読めないってやつだったのかもしれません)

どんないじめだったかというと、「暴力」「暴言」です。でも、やり返していました。体操服を入れた袋で殴られたら、自分の袋で殴り返していました。でも、相手はどんどん増えていった気がします。仲間を作って1対多数になったんですね。そうなったらどうしようもありません。

そこで、先生に相談しました。殴られるし相手が集団だからどうしようもないと。そうしたら、その日の終わりの会で先生がいいました。

 

「いじめられるやつが悪い。いじめる子は正義感の強い子だ。」

 

あ、これはダメだと思いました。小学校2年生でしたが、もうこの人は無理だし、この場所にいちゃ危ないと思い、その日の帰りに職員室によって、担任の先生と1人だけ向きの違う先生(多分教頭先生)にそれぞれお礼をいって帰りました。

 

「今までお世話になりました。このままではここに来れないので、今日を最後に二度と来ません。さようなら。」

 

確かこのように言ったと思います。何とも律儀にお礼を言ったと思います。家に帰ってから親にも「学校辞めてきたから。明日から行かないからといいました」(学校やめるって小2で言ってました。)

その日のうちに担任が血相変えてやってきました。学校での出来事を親の前で話して、先生の言葉を聞いて二度と行かないと思ったこともいいました。先生が何を言ったか覚えていませんが、次の日来てくれというので仕方なくいきました。そうしたら、授業時間を潰して、イジメについての学活が開かれました。いじめていた人とその仲間が洗い出されていきました。そして、全員が私に謝るという何ともシュールな状況ができました。

それから学校に行かなきゃ負けみたいな感じになって、行きました。だから、不登校になりかけた話ですね。たまたまですが、小学校の時は毎年担任が変わったので、この担任との関わりは2年生の時だけでした。(後に妹もこの先生が担任になり、問題発言を繰り返し、保護者一同が直訴するという事件が起きました)

 

二回目の不登校になりかけ

次の不登校になる話の前に、小学校4年生の時の出来事も少し関わります。その後、私は順調にいったかというと、今度は4年生の担任の先生にイジメられました。窓からみえる景色を描くっていうお題のお絵かきの時に、違う季節の窓から見える絵を描いたんです。多分緑色に塗るべきところを茶色や黄色や赤で塗っていたと思います。そうしたらものすごく怒られました。「窓から見える景色」っていったから描いたというとイジメられるようになりました。そこから大人への不信感を持つようになりました。また自分っておかしいんじゃないかって思うようになりました。毎日のように「変人」「変わり者」と担任に言われたからです。保護者会でも私の絵を取り出してこの子は異常だって言っていたそうです。親も怒っていました。

でも、そこから私は「周りと合わせる」ということに執着します。「普通になろう」と思ってそれが信条になって行きました。小5でいじめっ子が現れて、標的になりかかりましたが、どのように行動をとればいいか意識していたので、ぶつかることなくうまく行きました。そうして、小5、6年は平和に過ごしていました。

 

本格的な不登校のとき

さて、その後、小学校を卒業し、中学校に入るまでの間に引越しをしました。今の実家のあるところです。引っ越した先の中学校は1つの小学校から上がってくる小規模校でした。だから、小学校からの人間関係をそのまま引きずってやってくるのです。中学校から新たに入ったのは3人。3クラスしかなかったので、各クラスに1人ずつ入ってました。だから、心機一転のはずが、私は転校生扱いになりました。

その中学校では「普通になろう」と努力した甲斐あって、友達は多くできました。無事に溶け込めたんです。勉強は全くしていなかったので、勉強できない組と仲良くなっていました。テスト前に「全然勉強してないわー」を文字通りに受け取っていました。本当に何もしていませんでした。そうして1年が過ぎました。

 

さぁ、不登校になった中学校2年生です。1年生の時、色々と問題が起こりました。イジメ、暴力など色々あり、毎日のように学年集会。持ち物検査とかもされました。そこで、教師対生徒の溝がものすごく深くなっていました。大人不信だらけ。だからかな、私は溶け込めたのかもしれないです。そして、2年生の時の担任はベテランの先生でした。英語の先生で忘れ物したらサシで殴るというのが定番です。(今だと体罰ですね)1年時から知っている先生だったし、なによりも部活の顧問だったので、大丈夫だろうと思っていました。そうしたら、3日ほど行った後、アレルギー性肺炎になり入院することになりました(笑

もうちょっと病院行くのが遅れたら死んでいたと言われました。それくらいひどい肺炎になったので、1ヶ月近く入院しました。退院したあとも薬の副作用がひどく学校にいけませんでした。ひさびさに行ったのが2年の中間テストだったと思います。いきなり受けたので、当然わかりません。といっても、元々勉強してなかったので、大して問題はありませんでした。が、学校に行ったら、ものすごく溝が深くなっていて、イジメっ子がクラスに登場していました。

早速やられましたね。ムースを筆箱に入れるイタズラが流行っていたそうですが、やられました。速攻そいつの首元開けて、背中にムースを浴びせました。それからイタズラされることはなくなりました。久々に登場して、やり返したので、なんだかそいつらと仲良くなってしまいました。

その頃からか、問題児の隔離作戦が実行されるよになっていきました。授業中邪魔になる生徒を違う部屋に隔離して、独自の勉強をさせるというやり方です。数人がピックアップされて消えて行きます。教師の気に入らないことをすると連れて行かれるようになりました。なんだか、何のために中学校に行っているんだろうと思うようになりました。

7月頃から学校に行かなくなりました。家にいると心配されるので、学校に行くフリをして、すでに不登校になっていた友達の家に行ってました。いずれバレたらなんか言われるだろうなぁと思っていたけど、何も言われませんでした。たまに様子見に学校に行くくらいでほとんど行ってません。あれー?放置されてる?って感じでした。

そうしたら1月の正月明けに担任から電話がありました。欠席日数が異常に多いので、教育委員会から通達があって、進級する意思があるのか確かめてくれと。つまり、もう一回2年生やってもいいよということです。そんなの嫌だったので進級するといいました。その時電話越しに、「お前ってそんなに来てなかったっけ?」と言われました。

本当に放置されていました。というか、気づかれていない。全く関心持たれていませんでした。本人は不登校のつもりでしたが、学校は不登校にすら気づいていない状況でした。

 

 不登校が終わる

こんな感じで中学校の時は不登校でした。ほとんど2年生は行っていません。3年生も行くつもりはなかったんですが、世の中では「高校」に行くのが当たり前だと友達に教えてもらいました。それには受験もあると。そこには内申書というものがあって、3年生の成績が影響すると教えてもらいました。じゃあ、学校に行く意味があるなと思いました。つまり、内申書という餌があったからいこうと思ったのです。なかったらきっと行ってません。それくらい中学校には価値を見出せませんでした。私の不登校はそうして終わりました。

 

高校は行く価値あると思いました。勉強が面白かったし、大学というのが見えていたからです。3年間の積み重ねと言われたので、じゃあ、3年くらい行くかと思いました。中学校の時は遊び呆けたし、高校は遊ばないで勉強しようと思ったんです。まぁそれなりに遊んでいましたが。

 

という感じで、不登校です。でも、問題なく大人になって仕事につきました。双極性障害になって今は休職中ですけどね。まぁ、学校での失敗はいくらでも取り返せると思います。今も休んでいますが、終わってないと思っています。正規のレールからは外れましたが、大丈夫でしょう。首になったらなったで、何か考えようと思っています。でも、できれば復職して、少し貯金を増やしたいと思いますけどね。元手です。

 

不登校の理由

てな感じで、不登校経験者です。でも理由が「勉強についていけない」とか「友達できない」とかではないんですよね。「学校に意味が見出せない」という理由でした。大学に行って一応教職は取ったので、教育実習やボランティアにいきましたが、公立中学校の存在意義が未だにわかりません。ボランティアで行った中学校では放課後補習のスタッフやったんですが、知っている英語の文法の説明がわかりませんでした。こんな簡単なことをなんてわかりにくくいうんだろうって思いました。数学も簡単なことを難しく行って偉そうにしてました。こんな状態なら塾行った方が早いよと思いました。放課後の時間縛ってやる意味あるの?と思ってしまいました。もっと外の世界にはわかりやすい人いるよと思いました。でも、中学校は選べないですからね。住んでる地域で指定されるし、どんな先生がいるかは転勤によって決まるのでなんともなりません。

 

だから、学校が合わないからダメなんだと不登校になって気に病むことはないと思います。どこかに自分に合う世界がありますよ。それか、学校がダメだと思ったら教師になって学校を変えてやればいいんですよ。教師は勉強さえすれば取れますからね。色々な免許の中で大学に行って必要な単位を取ったら誰でももらえる免許です。医者みたいに国家試験ないですよ。私でさえ持っているんですから。大学の勉強時間が少し増えるだけです。

 

でも、学生の時って自分の周りの世界が限界の世界になってしまうので、仕方ないですよね。そういう世界観を崩すことができたらいいなと思います。また、思いを口にしたり、言葉にすると少し荷がおります。私は求められたら話そうと思いますが、基本はどう思っているのか、考えているのか「聞きたい」と思っています。傾聴のスキルは多少あるので、役立つかなーと思います。

 

今回は長文になってしまいました。目的は最初のイベントの告知です。私の体験談はあくまで参考になので、読み飛ばしてもらったもいいかなーと思います。