双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者(1年間)。睡眠改善、薬の使い方を調整後、復職。現在挑戦中のきままなブログ

私の自立は突然に・・・

どうも。

 

特別お題が今回あるんですね。挑戦しようっと。

私の自立は突然に・・・やってきました。

これは私がまだ病気をする前の話。元気だった頃のお話です。

 

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目次

 

1 社会人として歩み始めた!

今から五年前の2013年3月に大学院を修了し、4月から働き始めました。

当初は実家から通っていました。通勤時間1時間半。電車、バスの乗り継ぎです。車で行ったら40分弱。絶対車の方がいい距離だったのですが、公共交通機関しか認めてくれなかったので、電車とバスに揺られながら行ってました。律儀に守らず車で行けば良いのにとよく言われました。まぁ、新人ですから、その辺はきっちり守っていたわけです。

朝は5時半起き。夜は1時から2時くらいに寝てましたね。睡眠時間は3~4時間。激務でした。それでも、食らいついていました。

大学院卒の友達の中では給料は一番低かったです。手取りで22万くらい。働いてる時間で割ったら、最低賃金下回る勢いでしたが、なんせ、働いてました。実家暮らしなのでお金はそれほど遣わないので貯められました。

 

2 自立は突然に・・・

ハードな生活に、心のどこかで「一人暮らしして、もっと職場に近いところがいいなぁ」と思っていたのです。しかし、今の給料を考えて、家賃とか駐車場代とか減ることを考えたら、貯金できなくなりそうだし辞めとこうって思っていました。3年くらい働いてお金貯めてから・・・って思い描いていました。

 

そんな時、事件が起きたのです。

 

前の家を父が職場にして、そこに父方の祖母を住まわせて、今の実家に連れてこられなかった猫を飼っていました。3匹いたのですが、その世話を祖母がやってくれていたのですが、「もうやりたくない」と言い出したのです。

猫の世話をネグレクトしたのです。その後祖母が多臓器不全になっていて、動くのがつらいってことが分かったのですが、その時点では、「えっ?どうしよう」って状態でした。

 

そして、親が相談し、結論が出ました。

 

「すぐに家を借りて、猫と暮らしなさい」

 

えーっ!?ってなりました。しかも緊急事態なので、悠長に探していられません。

週末もあまり休みがなかったのですが、家探しで休みをもらいました(休みなのに休みをもらわないといけないっておかしいと思いますが)

 

一発で決めました。7月14日に物件見て、一発決め。

7月21日に入居開始です

 

ね、自立は突然に・・・ですよ。

 

3 生計を立てていく

いきなり一人暮らしとなったわけなので、引っ越し屋さんも頼まず、身内で荷物を運んだ状態だったので、最初はダンボールだらけのところに住んでいました。毎日夜中に荷ほどきしていました。

一人暮らしした場所は学校に少し近づいた場所でした。親が猫に会いたいという理由で、自転車で行ける距離ということになったためです。

でも、いきなりの一人暮らしです。料理等日常生活のスキルは実家にいるときからしていたので大丈夫でした(料理男子でした)。しかし、生活に慣れていないところに猫の世話となると、生活リズムがつかめませんので、2週間だけ猶予をもらいました。

その間に家を整理して、猫を迎えられるようにグッズを買ってきて、準備しました。

そして、猫を3匹迎えて、生活が始まりました。その時の猫の年齢は15歳。もういつ寿命が来てもおかしくない年齢です。だから、最期を看取るための生活っていう感じです。

 

あの頃は、毎月貯金ができるのかと思っていたので、毎日家計簿をつけていました。買い物をしたレシートをノートにペタペタ貼っておいて、月末に計算して一覧にしておきました。毎月3万は必ず貯金し、残ったお金も貯金に回していました。(毎月積み立てたお金は、のちに車の買い換え代にあてました)

 

そして、お昼ご飯を日曜日に作って、毎日持って行ってました。お昼ご飯も無駄にはしません。弁当持って行ってたので、誰かと一緒に住んでると思われていましたが、実は私が作っていたのです。

 

ということで、黒字生活が完成しました。家計簿は1年間続けました。1年を通して黒字でいけたので、もういいだろうってことで今はつけていません。

 

4 当然の出費

一人暮らしをしてつきまとうのが突然の出費です。

これがギリギリの生活であったらつらいときがあります。

3万キープですから、それを超える出費があったら赤字なわけですよ。まぁボーナスをあてるっていう手段がありましたが。

基本的な出費は・・・

猫の病気(猫の病院代は保険がきかないので高い)

私の盲腸(手術しました。保険入ってたのでお金は還ってきました)

甚大な結露・カビ(冬場は床一面結露でした。カビもすごく、家具がことごとくやられていきました)

こんなところですかね。盲腸も高かったですが、結露・カビ対策は結構かかりましたね。おかげで詳しくなりましたけどね。

 

あー、でも、最も大きい出費は・・・一人暮らしする費用でしたね。

突然出ることになったのですが、費用は自分持ちでした。ちょっとは援助してくれるかなーって思ったんですけどね。最初、家電の一部は買えませんでした。そんな中で生活しようとしてたら、一部の家電買ってくれたので、それが援助かな(シーリングライト買えなかった(笑

 

5 自立の終焉 ー半自立生活ー

引き取った3匹の猫は20歳くらいまで生きました。思ったよりも長生きしてくれました。代々うちの家の猫が眠る宝塚動物霊園で三匹とも火葬し、埋葬していただきました。(1匹あたり3万くらい)

最後の一匹だけは最期の瞬間を看取れなかったのですが、他の二匹は死に向かっているのが分かったので、膝の上で抱っこして、その中で安らかに眠っていきました。それができたのは、1回目のうつによる休職をしていたからです。家にいたので、看取れたのです。最期の子は、働いていたのと、夜寝る前は元気だったので大丈夫だろうと思ったら、朝には冷たくなっていたからです。苦しんだ後もなく、本当に眠るように横たわっていたので、自分が死んだことも分かってないんじゃないかなって思います。

それだけ安らかに逝ったと思います。3匹とも最期を看取るという任務を達成しました。

 

その後、私は調子を崩し、双極性障害へとうつっていきます。そして、病院から実家に戻った方がいいと言われますが、実家に戻るスペースがなく、また、父が拾ってきた子猫を飼い始めたので、その子を連れていけないという理由で断念しました。

しかし、家が遠いと何かあったときに対応できないので、近所に引っ越しすることになりました。自転車で数分の距離です。

 

半自立というのは、朝、昼はパンやカップ飯でやりすごし、夜はうちか実家でご飯を食べるという形だからです。病気してから包丁を良からぬことにつかってしまい、そこから包丁を握れません。

握れるかもしれませんが、握ると何するかわかんないので、危ないんです。

だから、料理男子じゃなくなってしまいました。

それに、味覚がおかしくなってから戻っていません。味を感じることができるのですが、病気をする前に作っていた料理の味が分からないのです。どうやら、辛い思い出のある料理は味がしません。困ったものです。

 

それに休職している今は時間があるので、どんなに時間が掛かってもある程度の家事をしています。しかし、働いていた時はできなかったので、洗濯も掃除もご飯も全部親にやってもらっていました。

そんな状況だったので、病状も加え、精神障害者保健福祉手帳を取得しました。

 

だから、一人で住んでいるので、一応自立していますが、生活の補助がないと生きられないので、半自立かなと思っています。

 

とまぁ、こんな感じです。

ちょっと暗いですかね?でもこれが、私のお話です。