双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者(1年間)。睡眠改善、薬の使い方を調整後、復職。現在挑戦中のきままなブログ

双極性障害と労働

どうも。

 

双極性障害の波乗り中です。

早いもので、もう二月ですね。休職してから随分と月日が流れました。

 

さて、そろそろ働くことを考えないといけませんね。休職の期限が切れるので、復職するか延長するかを考えないといけません。3月末からだから、もう少しあるのですが、診断書をもらって、申請しないといけないことを考えると、そろそろ病院と話をしていかないといけません。

 

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目次

 

1 「働かなくてもいい生活がしたい」

仕事をしていると、この台詞をよく聞きました。忙しい現場なので、その気持ちも分からなくもないですが、状況にも寄ると思います。

 

この台詞を言う人は、「忙しいから休みたい」という表面上の理由があって、条件に「生活に困らない程度の金が欲しい」というのがあります。いわゆる「遊んで暮らせる」ようになりたいんでしょう。

 

でも、双極性障害となって、「働かない生活」を経験することになりました。まぁ、一回目はうつが激しくて、休職したので、「働かない生活」というよりは、「治療する生活」です。

 

そして、現在も双極性障害の波が激しかったので、「波乗りを覚えるための療養生活」です。結果的には、「働かない生活」です。

 

お金も、満額じゃないですが、月1万円くらいの赤字で済む程度はもらっています。でもかなり節約生活ですけどね。双極性障害の軽躁期の特性のため、もっと赤字が出ている月がありますけどね。結果的に数十万円の赤字だと思います。まぁ、こんな生活数年しか持ちません(続けたとして

 

だから、「働かなくてもいい」生活では無くて、「働かなくてはヤバいけど、働けない」生活なんですよね。

 

でも、左うちわの生活よりも、私みたいな生活になる方が確率的には高いような気がします。

 

 

2 働くことに対する姿勢

私は元々働くことが好きです。

 

最初に仕事をしたのは小学校5年生。タレント養成所に通い出して1年経った頃、お仕事をもらうようになりました。最初はNHKでのエキストラでした。

 

中学生になる頃には、ちょくちょく仕事をもらって、2ヶ月にわたる長期の仕事にも通っていました。(この頃中学校に通わず仕事に行っていました。朝4時半に起きて、始発に乗って行ってました。7時スタジオ入り、17時終了でした。今なら何かに引っかかる(笑

 

で、高校3年生で受験のために、休んで、復帰したけれど、以前のように出来なくなっていたし、勉強が好きになっていたから、20歳をけじめに辞めました。

 

で、大学に行くようになってから塾講師をしていました。個別指導塾で、あほみたいに働いていました。授業が楽しかったからです。塾のバイトをあまりバイトだと思っていませんでした。ほとんど塾に行ってました。私は「塾に住んでいる」と言われました。

 

あの頃は、授業で使うプリントや生徒の課題に合わせた資料を作るのが楽しくて、バイトが終わって家に帰ってからも夜中に資料作りをしていました。そして、翌朝大学に行っていました。あの頃は3,4時間眠れば充分でした(躁の片鱗

 

これは中学校の時、勉強をしなさすぎてヤバイ状況になったのを、恩師のいる小さな個人塾で救ってもらった経験から、物事を分かりやすく伝えることが好きになったからです。

 

そんな感じで、大学での勉強とアルバイトが1:1くらいの割合になっていました。

 

 

3 働くことを苦にしないことを利用される

就職は希望通りの就職をしました。一本釣りです。

 

新規採用のうちは言われた仕事は全部するものだと思ってやっていました。残業しても残業代は出ません。その代わり、ある程度の時間を超えると産業医との面談をしないといけません。なので、徐々に退勤したことにして仕事をするようになりました。

 

言われたことは全部こなしていくので、どんどんと仕事が回ってきます。みんなが嫌がって手を上げない仕事は「新採だから」という理由でどんどん回ってきます。

 

そして、2年目になり、解放されるかと思ったら、「去年やっていて慣れているから」という理由で仕事量がキープされ、「もう新採じゃ無いんだから」という理由で新しい仕事が回ってきます。

 

仕事好きで仕事していましたが、13時間、14時間、休憩も無くぶっ通しで毎日過ごしていました。

 

気づけば、平日は仕事でヘロヘロになって、家では寝るだけ。

休日は、休日出勤でいないか、一日休めても溜まった家事をするだけで終わるという生活になっていました。

 

まさしく、「生きるために働く」状態でした。

 

そこに、老齢職員の介護(パソコンが使えない、トラブルの火消しなど)とパワハラに遭いました。パワハラは完全に妬みから来るものでした。10歳年上の先輩よりも好成績を出してしまってから攻撃が始まりました。

 

味方もたくさんいるのですが、助け船までは出してくれませんでした。

 

自分で支えられる状況では無くなってしまい、体調に異変をきたし、潰れてしまったのです。

 

4 休職をする

休職を初めてしたときは、恐怖でした。明日からの生活がどうなるのか分からず。体が動かない上に、生きる気力も無くしていて辛かったです。仕事を出来ない自分の存在価値を見失いました。

 

毎日死にたい死にたいと思って生きていました。寝ると死のうと勝手に行動するので、寝るのが怖くなりました。そして眠れなくなり、どんどん悪化していったのです。

 

そんな中、管理職から電話が掛かってきました。様子を心配してくれるのかと思ったら、

 

「○○の件だけど、どこにある?どうしたらいい?」

 

と仕事の内容でした。私にたくさんの仕事が乗っかっていた分、いろいろなことが分からなくなったのです。体調が悪くなった頃に、管理職に相談して、仕事量を調整して欲しい、抱えきれないことを相談したのですが、「大丈夫大丈夫。今はそう思うだけだから」と言われていました。

 

最初のうちは返事をしていたのですが、何度も電話が掛かってきて、この台詞を思い出したので、

 

「思い出せません。いっぱいありすぎてわかりません」

 

といって、電話を切りました。そこからは、仕事の電話が掛かってくることはありませんでした。

 

回らない頭で少しだけ復讐してやった気になりました。

 

 

5 危機を脱する

その後数ヶ月間は、死ぬ恐れがある状態でしたが、何とか危機を脱し、リハビリがてら少しずつ行動するようになって、復職を果たしました。

 

それから1年半、なんともなく過ごしていました。

 

仕事の回転率も上がり、早く帰れるようになりました。昔みたいに仕事をほいほいと受けないようにしました。周囲も一度倒れているので、ヤバイと思っているみたいです。特に私に仕事を大量に振っていた人は、倒れた後、大変苦労したようなので、仕事は最小限しか回してきませんでした。

 

それでも人の二倍くらいの仕事をしていると言われて、周囲に心配されましたが、それほど苦ではありませんでした。

 

その後、特に原因も無く、また「うつ」がやってきたのです。そこから双極性障害の疑いになり、波が激しく現れて、診断されるようになりました。

 

6 複合的な症状

私のうつは、少しだけ症状がややこしいです。気分の低下だけでなく、「幻覚・幻聴」を伴うからです。統合失調症なのか、そうじゃないのか、微妙なラインです。だから、私は、正確には双極性障害だけで無く、統合失調症も診断名に乗っかっています。

 

双極性障害になった理由は、抗うつ薬の影響もあるかもしれません。しばらく飲み続けましたからね。限界突破したのでしょう。

 

半年くらいはその状態で働いてみたのですが、とてもじゃないけれど、耐えられる状況では無くなったのです。

 

有給の持ち越し分を含めて、ほぼ全てを半年で使い切ってしまったのです。1年働いたら、絶対に足りません。頻繁に休める仕事では無いので、休職することにしました。

 

 

7 ゆっくり倒れる

今回の休職はゆっくりと倒れました。年度が替わるタイミングで仕事をきちんと分散させてから休みました。仕事上の問題はないようにして休んだので、職場での立場は危うくなっていません。

 

むしろ、しんどい状況でよく頑張っていたねと言ってくれました。

 

そういう意味では、職場の人間関係はいいのですが、いかんせん、仕事の多い現場なので、前回よりもさらに仕事量を減らさないと続かないだろうなと思っています。

 

だから、戻るのは厳しいだろうと思っていますが、異動できるかどうか分かりません。もちろん、職場自身で増やしてしまっている仕事を減らして、職員の負担が減っているのであれば、いいのですが、休んでいる間にも増えているようで、とてもじゃないけれど、怖くて戻れません。

 

ゆっくり倒れた分、色々と見えるようになって、自分のいた場所を振り返ると怖いなというのが正直なところです。

 

 

8 復職はするけれど

復職をしないと財政難で生きていけないので、復職はしようと思っています。そして、私には今後のビジョンがあって、今の仕事は目的のために必要なお金を貯めるために働こうと思っています。

 

好きな仕事ではあるけれど、そればかりで突っ走ると大変なことになりますからね。

 

だから、以前よりも、日常生活は良くなるはずですが、いかんせん、働いたときの精神的ダメージがどれくらいになるか分からないので、不安があります。

 

それに以前よりも、社会的刺激で気分の波が影響されます。

 

例えば、会議で不穏な空気になるとか、誰かと喧嘩になるとか、そういうことがあると大変な影響を受けると思われるのです。

 

だから、なるべくそういったことの無いところに行きたいです。

 

あとは、自分がいないと回らない仕事は受けないことを死守しないといけません。迷惑を掛けることになる可能性大ですからね。周囲に私は「活火山で休眠中」と表現しようと思っています。刺激で爆発する恐れありです。入山規制掛かっていますと。

 

ちょっと迷惑かもしれないけれど、仕方ありません。その代わり出来ることはどんどんします。表には立てないけど、裏方ならしますぜって感じです。

 

だから、私には「労働」の意欲はあります。が、それが実現できるかどうかは状況次第です。

 

難しいですよね。でも、休むことの恐怖を知っているので、「働かなくてもいい生活」を求めません。だって、国の制度を利用しても、それは最低限のことであって、生活にビクビクしながら、ほぞぼそと薬だけ飲んで暮らすのは嫌だからです。

 

障害があっても、なんとかなる方法探してみます。