双極性障害2型と暮らす

双極性障害2型、仕事をしながら薬調整をしようとしたが、失敗。2度目の休職者(1年間)。睡眠改善、薬の使い方を調整後、復職。現在挑戦中のきままなブログ

双極性障害と迷いと決断

どうも。

 

お題に挑戦します。何人かすでに挑戦されていますね♪

 

人生の中で何度か迷って決断してきていますが、大きな分かれ目は高校生の頃の決断かと思っています。

 

私は子どもの頃からタレント養成所に入っていました。今では子どもがテレビに出るのは珍しくありませんが、あの当時はあまりいませんでした。タレント養成所に入っていること自体が珍しい時代です。今では、知名度も上がり、事務所の大きさにこだわらなければ、誰でもお金を払えば入ることが出来るようになってきました(仕事があるかどうかは別として)

 

10歳で入所しました。きっかけは妹の事務所替えです。妹は3歳の時から入っていたので。一応オーディション突破しないと入れなかったので、受けても駄目だろうと思って受けにいったのです。内容は腕に蜂が止まった様子が分かるように動作をすることでした。声や音は駄目でした。

 

難しかったですが、私は腕に乗った蜂をパチンと叩いて潰しました(笑)それが精一杯の想像力でした。

 

その後、腕に蜂が止まったときの動作を説明してくれました。こういう風にしたらどうかな?って。その審査してくれた人は有名な俳優さんだったそうですが、当時の私は知るよしもなく・・・(笑)その後練習して、その動作は覚えることが出来ました。

 

まぁ、なんかよく分からなかったけど、一つ学んだと思って、もう終わりって思っていました。ところが、よく分からないけど、合格しちゃったんですよね。

 

そこから1年間は仕事もなく毎週毎週レッスンを受けていました。土日が練習だったので、学校とレッスンという毎日になりました。

 

1年後に初仕事をして、オーディションにもちょくちょく連れて行ってもらって・・・ぽつりぽつりと仕事をしていきました。あの時代はエキストラもオーディションがあって、ギャラも出たのです。今では、ボランティアみたいな形で募集していますが、当時は立派な仕事だったのです。

 

中学生くらいになると、レギュラーではないけれど、エキストラでもない仕事が増えてきました。集団の学生が必要なときには呼ばれるようになりました。とはいえ、周りは20歳くらいの青年達。そして、14歳くらいの私が混じっていました(見た目おっさん(笑)

 

高校生になると、ハードルが上がってきていました。経験者しか応募できないオーディション。舞台。色々とあるのです。周りのライバル達はキラキラしていて・・・私にはまぶしく見えました。そんなに熱意ない(笑)

 

そうこうしていると、大学進学の話が出てきたわけです。

 

さて、私の迷いはここです。

 

進学するか、高校卒業したら芝居に全力を傾けるか、です。

 

大学受験の勉強をすれば芝居をするのが厳しいです。オーディションはいつ入るか分かりません。受験だからと言って日程を変えてくれるわけありません。舞台もあるし・・・って感じでした。

 

高卒で芝居に全力を傾ける。これは周囲からの圧力でした。事務所的にもそうして欲しかったんだと思います。でも、私は、事務所に所属していた、売れない先輩をみていて怖かったのです。

 

アルバイトで実家暮らし。結婚も出来ず、ギリギリの生活を送る。

 

これが怖かったのです。

 

売れれば、全く逆の生活が待っているでしょうが、私はそんな自信ありません。見た目も良くないし、体型も子どもの頃からコロコロ。まぁちょっと変わった役柄が多かったのですが、私の性格は真逆で辛かったのです。

 

他にも色々とあったのですが、とにかく「受験する」ことにしました。事務所は辞めようと思って伝えたのですが、とりあえず「休団」扱いになりました。

 

ここから私の迷いは伸びます。

 

その後、現役では失敗したので、浪人をして、第一志望に合格します。

 

二年間休団し、芝居に復帰します。

 

平日は大学にアルバイト、週末は芝居の稽古といった感じです。忙しかった。そして、オーディションが入る・・・幸いなことに復帰後もすぐにオーディションに呼んでもらえたのですが、何せ、大学の授業をポツポツ休むことになったので、折角志望して行ったのに・・・と不満が起きてきました。

 

そこで、私は決意しました。20歳が終わるまでに芽が出なかったら、きっぱり辞めるということでした。

 

そのことを伝えて、続けました。そこまでは全力でやりました。

 

でも、その頃、一時的に痩せてしまった私は仕事にありつけませんでした。昔みたいに目立つものがなくなったからです。

 

20歳が終わった日。私はマネージャーに連絡して、辞めることを伝えました。今回はもう休団はしないということも。これは自分なりのけじめということも。

 

それからは気が楽になりました。

 

結果的に研究に使える時間が増えて、その後、大学院まで進むまでになりました。

 

私はその決断を間違えたとは思っていません。それに経験が消えるわけではありませんからね。

 

でも、この迷い、実は予言されていたのです。

 

事務所の社長です。私の様子を見て言っていたのです。

 

この子は、芝居を続けるか、学問を仕事にするかで迷うことになる

 

と。小中の時、全く勉強していなかった私をみて、そう言っていたのです。その頃の私は「学問」なんてするわけないのにって思っていました。

 

人を見る目を持った社長だったんだなぁって思います。

 

という感じの迷いと決断で今の私があります。今後もよろしくお願いします。